1-3 ごあいさつ (APMの魅力)

2009年7月11日「秋山孝ポスター美術館長岡」の開館式典が行われました。梅雨の時期に花火と共に突然晴れやかな日が現れ、森民夫・長岡市市長始め著名人が参列し、開館には多くの市民が集まり、美術館の扉が開きました。歴史的建造物旧北越銀行修復後の輝く ような白い壁の中に、鮮やかな色彩を持ったメッセージポスターの美しさが表れ出ると、感動と共感はため息と共に静かなささやきが響き渡り、その空間を包み込みました。歴史ある醸造の街に超モダンなポスターデザインの世界が花開き、新しい 文化がスタートしたのです。秋山孝ポスター美術館サポーターズ倶楽部の支援のもとに市民が作り上げた美術館が誕生しました。
美術館の建物は、1925年(大正14)に建設され、北越銀行宮内支店として宮内・摂田屋地区の人々と共に歩んできました。その建物が度重なる地震などによって老朽化し、歴史的建造物として修復され、瀟酒な美術館(都市景観賞受賞)に生まれ変わったのです。
新潟県長岡市は、いくつもの難儀を背負ってきた街です。しかし東山と信濃川からの美しい自然と恵みによって「豊かな美を感じる精神」を育んできました。秋山孝はこの街で生まれ、先祖代々認識できない程長きに渡ってこの地に暮らしてきました。 その文化と自然は、彼の「クリエイティブスピリット(魂)を作り「根源的な美意識」に大きく影響を与え、その結果、数多くの作品が生まれたのです。
この美術館ができる経緯は、1999年「しなの川音楽祭」のイベントとして、新潟県立近代美術館ギャラリーにおいて「秋山孝の世界展」を3年連続開催したことから始まりました。その展示作品を中心に532点の作品が「秋山孝長岡コレクション」 として長岡市のコレクションとなったのです。その後、2008年「秋山孝ポスター美術館長岡」の案が地元宮内・摂田屋地区の高田清太郎氏、田上紘三郎氏らの発案とともに地元の多くの協力を得て実現に至りました。
長岡は小林虎三郎の「米百俵の精神」にあるように、1868年(慶応4)の戊辰戦争に敗れた長岡藩において「どんな苦境にあっても教育をおろそかにできない」と主張し、国漢学校を開校しました。教育が「長岡を立て直す一番確かな道」と説いた のです。その精神を受け継いで、本美術館はイラストレーションポスター作品の展示・研究と教育をすることを目的としています。
また、長岡の「雪・山・川・味噌・醤油・酒・蔵」旧三国街道の宮内・摂田屋地域全体の魅力を再発見し、歴史ある醸造の街とモダンデザインの文化を紡ぎ合わせ、街全体を美術館と考え新たな街づくりの実現に貢献したいと願っています。

ポスターの森に遊ぶ

ポスターの森は深い。いつの間にか気づくと歩き回りすぎて何処にいるのか分からなくなってしまった。磁石を持っていないので、自分の位置を見失った。無数にあるポスターの樹木の乱立は、それぞれ魅力ある美しさを放っていた。ぼくは、この不思議な森に迷い込んだことすら知らずに長い時間が過ぎてしまった。あたりを見渡した。木の実がおちていたり、美味しい茸があったので空腹を満たした。満腹になり眠り込んだ。どれくらい眠り込んだのか、わからなくなった。ただ気持ち良かった。そして目が覚めた。ポスターの森は、香りがあってどれも微妙に異なっていた。ぼくが魅かれて行ったのが、ユーモアあふれる楽しい香りに満ちている木々のある森だった。天にそびえ立つ樹木は、見ていて飽きがこないものだった。葉は青々して生気にあふれ、深く張った根は、奥行きのある哲学者のようだった。一本一本じっくりと眺めた。樹木の肌合いから、そこに住むフクロウの家族まで、すみずみ一部始終見た。だが、あまりにもその森は広大なため終わりがなかった。やっと、ぼくはポスターの森に迷い込んだと気づいた。夢は醒めた。すでにぼくの髪は白くなっていた。広大なポスターの森を思いだした。身体全体で知った森を一つ一つ確かめた。ひりひりするような痛さや肌に冷たい爽やかな快感が言葉を越えてやって来た。
秋山 孝

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