■2012年 展覧会 | ■2012年 美術館大学 |
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第9回企画展 4/21〜6/24 「ノー・モア・フクシマ」 |
4/21 第14回美術館大学 「『ノー・モア・フクシマ』について」 時間:pm3:00~4:30 講師:福田毅,U.G.サトー,高田清太郎,秋山孝 |
第10回企画展 7/7〜9/23 「越後百景十選」秋山ポスター展4 |
7/7 開館3周年記念 第15回美術館大学 「『越後百景十選』について」 時間:pm3:00~4:30 講師:河田博、秋山孝 |
8/3 第16回美術館大学 「ワルシャワ国際ポスタービエンナーレについて」 時間:pm3:00~4:30 講師:甲賀正彦、御法川哲郎、秋山孝 |
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第11回企画展 10/6〜10/31 多摩美術大学大学院イラストレーションスタディーズ 「メッセージイラストレーションポスター in 長岡」展4 |
10/6 第17回美術館大学 「新企画2013『高田清太郎の建築デザイン哲学』展と 『ポーランドポスターの巨匠 in 長岡』展について」 時間:pm3:00~4:30 講師:高田清太郎、御法川哲郎、秋山孝 |
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17回目の美術館大学が開催された。今回の美術館大学は、2013年の4~6月に開催される「高田清太郎の建築デザイン哲学」展と「ポーランドポスターの巨匠 in 長岡」展に関するお話を、高田清太郎氏、御法川哲郎氏、秋山孝館長より伺うことができた。
まず初めに「高田清太郎の建築デザイン哲学」についてお話を聞かせていただいた。高田氏はAPMサポーターズ倶楽部の会長であり、高田建築事務所の代表取締役社長である。今まで数多くの建築物を造り、まちづくりに奔走してきた。秋山館長は、高田氏との対話で学ぶことが多くあったが、理解することが難しいこともあった。そこで高田氏をより深く理解するために高田氏のブログから重要な言葉を選び出し、「金言」と名づけた。その金言と、高田氏がこれまで手がけてきた作品(=図面、建築写真、立体模型)を展示するのが2013年最初の展覧会である。銀でも銅でもなく「金言」としたのは、「決して錆びない」という意味を込めたためである。
高田氏がブログを始めたのは、ブログというツールが社長の考えや経営方針を理解してもらうために重要であると進言されたからである。タイトルは「千一朝物語」。これはアラビアンナイトの「千一夜物語」のもじりであり、続けていこうとする意志の表れであったという。そんな「千一朝物語」であるが、2012年2月にめでたく1000日を迎え、現在は「ヒルサイドストーリー」と名を変えて継続中である。
「金言」は全部で31あるが、今回取り上げたのは10点ほどである。中でも「雪」の項目の金言が印象深い。「そもそも融雪設備の歴史は大変短い。むしろ、三国街道は屋根から下された雪をそのままにして不便をしていた、かつての雪国の都市生活を偲ぶには欠かせない要素としてとらえる方が良いように思う」これは、長岡市摂田屋のまちおこし事業のひとつで「摂田屋総選挙」とうたったコンペに関してのコメントの一部である。三国街道の改善、整備についてさまざまな計画案が出されたが、その中で冬期の雪対策については、ほとんどのコンペ参加者が地下水による融雪を提案した。しかし雪をただ邪魔なものとして消すことははたして正しいのであろうか。雪のある風景こそが、不便さも含めて原風景なのではないか、と語った。
続いてポーランドポスターの巨匠展について、御法川氏と秋山館長からご説明いただいた。ポスターを理解するに当たって、その国の言語や文化、歴史について何年も時間をかけて研究することが重要である。美術館の役割は作品をただ展示するのではなく、研究にこそある。ポーランドのポスターにはいくつかの特色があり、そのひとつが作品としての芸術性である。合理的な考え方に支配された昨今のポスターは、さまざまな情報や、タレントの起用に終始し、「作品」とは呼べない。しかしポーランドのポスターは作家の個性が発揮され、またポーランド書体と呼ばれる美しい字体で記される情報は大変魅力的だ。
研究の重要性をあらわす事例として、たとえばマチェイ・ウルバニエツの「サーカス」があげられる。「サーカス」には日時も場所も記載されていない。サーカスを象徴する絵が描かれているだけだが、いつどこにサーカスがやってくるのかは周知の事実として認識されているのだという。そういったことも文化や時代背景を理解していなければわからないのである。他にもヤン・レニツァやフランチシェク・スタロヴェイスキなどのポスター作家たちの作品とその特長について解説していただいた。
今回の美術館大学は、二つの展覧会について語っていただくという、盛りだくさんの内容であった。来年の展覧会を楽しみにしていただくためのきっかけとなれば幸いである。(APM職員・森山)
メッセージイラストレーションポスター展4の開催を祝して、懇親会を開催いたしました。
今回の懇親会では、長岡雅楽愛好会の皆様に演奏していただきました。
また、長岡の菓子屋「紅屋重正」の砂糖菓子や宮内の「志満屋」のオードブル、「芝亭」の唐揚、「新潟銘醸」・「吉乃川」の日本酒などが振舞われました。
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第16回美術館大学の題目は「ワルシャワ国際ポスタービエンナーレについて」である。「ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ」とは、世界初のポスタービエンナーレとしてポーランドで1966年にスタートした。部門はイデオロギー部門、文化部門、広告部門、その他の部門の4つがある。隔年で開催され、2012年で23回を迎えた。若いポスター作家にとって登竜門であり、世界のポスター作家が出品する国際コンクールである。
今回の美術館大学では、2012年イデオロギー部門金賞受賞の御法川哲郎氏、2012年文化部門銅賞受賞の甲賀正彦氏、26年前の1986年イデオロギー部門金賞受賞者であり、審査員も務める秋山孝館長の3名が、ワルシャワ国際ポスタービエンナーレについて語る。
まず、秋山館長よりワルシャワの基礎知識が地図や写真といった画像とともに紹介される。ワルシャワはポーランドの首都であり、ヴィラヌフポスター美術館がある。ヴィラヌフポスター美術館はもともとヴィラヌフ宮殿の馬小屋だった建物を美術館へと改装したもので、ポスターに特化した美術館である。銀行だった建物を美術館に生まれ変わらせたAPMとどこか共通するものがあると語った。旧市街の町並みの美しさにも言及し、戦時中、ドイツ軍に壊滅させられた街を、一枚の図面もない状態から復元したワルシャワの人々の熱意を讃えた。
ビエンナーレの様子も、多くの写真とともに紹介された。街中いたるところに貼られたポスター、華やかな表彰式風景、厳しい審査の様子が映し出され、ビエンナーレの空気が伝わってきた。審査風景では、議論を尽くし、審査員の中には体調を崩す人が続出するという秋山館長の言葉に、世界のトップレベルの厳しさや激しさ、責任の重さを感じた。
3名の受賞者の鼎談では、お互いの長年の信頼関係からか、和やかなものとなった。ワルシャワのビエンナーレ以外ではどこに行ったかという秋山館長の問いに対し、御法川氏はシカゴでの思い出を語りつつ、その魅力を、世界を動かしているトップクラスの人々に会えたことだとした。そういったトップクラスの人々は厳しい反面、非常にフレンドリーでおおらかであったと感想を述べた。甲賀氏はビエンナーレの魅力を、「日本という国を外側から見る」ことであるとした。日本の中にいては感じることなく過ぎてしまう問題が、他国と比較することで浮き彫りになる。そこに魅力を感じるのだという。秋山館長も、日本は島国のため、美術も独特の発展をしてきたことを指摘し、日本という国を外側から見ることの重要性を語った。ワルシャワ国際ポスタービエンナーレに関しても、名称に「国際」とあるにもかかわらず、審査員はヨーロッパの人々が中心で、アジアでは日本人の秋山館長が一人だけという現在の状況に疑問を感じると述べた。
質疑応答の時間には興味ある質問が続出した。長岡造形大学視覚デザイン学科の吉川賢一郎准教授からは、3名の講師に「いいポスターとは」という質問がなされた。御法川氏は図と文字と、そのふたつが作り出す意味の3つの関係がいいもの、つまりメッセージと表現のバランスのいいものではないかと述べ、甲賀氏は「コンクールにおいて入選以上はすべていい作品である」という原則を述べた上で、秋山館長が以前語ったという「多くの中で1つの優秀な作品を見つけることは困難であるが、1対1では必ず優劣がある」という名言を持ち出し、いいものは直感で判るのではないか、とユーモアたっぷりに主張した。秋山館長は、目的があり、その目的に沿ったものや、人々を動かす力のあるポスター、心に残るポスターはいいポスターであるとした。
「縦や横のポスターがあるが、法則はあるのか」という新潟銘醸㈱の吉澤貞雄社長の質問には秋山館長が答えた。お酒の瓶にもある程度の基準があるのと同様に、ポスターも貼る場所によって枠組みがありその基準を外れると社会の中で通用しなくなることを説明した。
最後に講師の御法川氏から「ポスターに執着した理由は」と質問された。甲賀氏は制作しないと秋山先生に怒られるからである、と会場を笑わせた。それを受けた秋山館長は、人に対して檄を飛ばすのは、翻って自分に対する激励でもあるのだと述べた。20代の頃にポスターを描き続けようと決め、以降ずっとポスター制作を続けてきた。真剣に取り組み、継続してきたものこそ正しい答えを出せるので、これからもポスターにこだわっていきたいと締めくくった。(APM職員・森山)
秋山孝ポスター展も今回で4度目の開催となる。今回から「秋山孝ポスター展」は「越後百景十選」というタイトルが付き、テーマがより明確になった。その「越後百景十選」を背後に、ホクギン経済研究所の副所長河田博氏と秋山孝ポスター美術館長岡(APM)館長秋山孝が、「越後百景十選」について対談した。まず秋山館長より「越後百景十選」制作の経緯が語られた。日本を含む東アジアは紙の文化であり、江戸時代以前より紙による表現がなされてきた。江戸時代にその文化が花開き、特にプリントメディア(=浮世絵)が大衆世界によって生まれた。それは世界でも類のない文化であり、「ジャポニズム」と呼ばれ、敏感なフランス人を魅了した。江戸時代の「江戸百景」や「富嶽三十六景」といった浮世絵は、もともと旅行記であり、記念の印刷物として発達していったものであるが、秋山館長は現代の「江戸百景」や「富嶽三十六景」のようなものをポスターで制作したいとずっと考えていた。そこへ河田氏より「ホクギンマンスリー」表紙デザインの依頼があり、「越後百景」を制作するに至ったのだという。河田氏からは、「ホクギンマンスリー」表紙デザインを秋山館長に依頼した経緯が語られた。そもそも「ホクギンマンスリー」とは、会員と全国の金融シンクタンクなどに配布している会報である。表紙はカラーで、パンフレットのような薄い冊子である。他機関の同様の冊子では、表紙に図形や写真を使用し、抽象的に仕上げているものが多いが、「ホクギンマンスリー」ではイラストや写真、グラフィックを使っていこうという方針に決定した。そのような折、サポーターズ倶楽部会長・高田清太郎氏に誘われ、APM設立に関わったことが縁となり、秋山館長とのお付き合いが始まった。機会が巡ってきたと感じた河田氏は、「ホクギンマンスリー」の表紙デザインを依頼した。秋山館長に表紙を依頼するのにあわせて、中身も多少の変更を行った。基本的には景気動向調査や経済情報などが掲載されている専門誌であるが、一方で新潟のことを知ってもらうための媒体という意味合いもあるのではないかと考え、新潟の情報を発信し、新潟にこだわった冊子にすることにした。その改革後、第一号が秋山館長の越後百景・十選一番「ニッポニアニッポン・トキ」が表紙を飾る2011年1月号である。まだ見たことのない新潟の魅力を伝えたいと、想いを語った。続いて、秋山館長の作品解説が行われた。越後百景十選
一番「ニッポニアニッポン・トキ」は、失われたものの大きさを考えさせられる講演であった。現在佐渡にいるトキは中国産のトキであり、真の日本産のトキは絶滅してしまった。絶滅を防ぐ手立てがありながら現在の事態を招いてしまったことに嘆きつつも、トキへの愛情が感じられた。二番の「雪・北越雪譜」では雪同士のコミュニケーションを、三番の「春の太田川」では信濃川の支流・太田川を描いた。「春の太田川」では、まちづくりにまで話が及び、歩ける空間の重要性を訴えた。四番「桜・悠久山」は桜前線の名付け親に出会ったときの感動を、五番「佐渡島」では佐渡という島の文化の重要性についてのお話をし、文化を残すことの大切さを話した。六番「醤油桶」も貴重な文化であるから、雨ざらしでなく、屋根を掛けるなど保存する必要があるのではないかと提言した。八番「機那サフラン酒製造本舗土蔵」では、他の蔵と比べていかに美しいかを力説した。サフラン酒の蔵は、雪の重さに耐えるため、屋根には余計な装飾がなく構造的にも美しい。九番「山古志・棚田」は棚田の美しさを訴えた。棚田に差し込む夕日が水面で反射し輝く様は、有名な絵画を見るよりよほど感動すると言い、会場を笑わせた。最後に、サポーターズ倶楽部会長より秋山孝ポスター美術館長岡の地域における美術館活動の一部が紹介された。昨年美術館においてキャンドルナイトやまちかど美術館といったイベントが行われた。それは地域住民や子供たちの美術教育に貢献するという意義を持った活動であり、美術館と地域の結びつきがより強くなったイベントである。これからも美術館を愛する人々とこうした活動をしていきたいと締めくくった。「越後百景」は今回の展覧会ポスターをあわせて11作品となった。ようやく11作品である。江戸時代に作られた「○○百景」といった作品も、100作品まで到達したものは少ないという。「越後百景十選」カタログの中で秋山館長は「越後はまだまだ計り知れない魅力とその美しさが満ちあふれた地形や人が育んできた文化がある。その奥深い歴史と人間性のある生活から出てくる言葉にはできないものを北斎や広重のように現代ポスター表現で越後の美を発見したいと思っている。これから、可能な限り越後を歩いて見たこともない感動、あるいは、すでに周知しているが忘れ去った心を見つけ出したいと願っている」と語っている。いつか「越後百景二十選」や「越後百景三十選」を見ることができる日を待ち望んでいる。(APM職員・森山)
APMの創立3周年を記念して、懇親会を開催いたしました。
今回の懇親会では、昨年に引き続き、サポーターズ倶楽部法人賛助会員になってくださった方々に会員証の授与を行いました。
また、長岡造形大学の転太鼓舞3名が太鼓演奏を披露してくださいました。
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キャンドルナイトとは、夜、照明を消し、キャンドルを灯して過ごそうという運動のことである。キャンドルを灯すことで気分転換を図ったり、雰囲気を演出したりするなどの他、省エネルギーや自然保護、地球温暖化防止を目的とする。
秋山孝ポスター美術館長岡(APM)で開催されるキャンドルナイトは2011年の夏至より開催され、今回で2回目である。省エネも意識してはいるが、どちらかというと前者の意味合いが強い。キャンドルでデザインされた空間を演出し、地域の住民同士の絆を深める拠点として提供している。ところが、今年のキャンドルナイトには付加価値が加わった。奇しくも開催中の展覧会は「ノー・モア・フクシマ」。省エネや地球温暖化について考えるには絶好の機会となる。
pm6:00よりキャンドルの点灯を開始した。夏至の夜なので外はまだ明るい。ちらほらと訪れる 来場者との会話を楽しむ。pm7:00をまわると夜の暗さが益し、キャンドルの灯りに吸い寄せられるように、来場者も徐々に増え始めた。pm8:00からは、有志による生演奏が始まった。あるものは歌を、あるものはギターを、またあるものはウッドベースの演奏を披露する。その音はAPMの展示室に響き渡り、会場を包み込んだ。来場者は思い思いの場所に座り、電気を使用しない、生の音楽に耳を傾けた。
今回のキャンドルナイトを行ったことにより、来場された各人が自宅の電気を消し、APMに集まり、ひとつの時間と空間を共有したことによる連帯感が芽生えた。この連帯感を一時的なものにしないためにも、継続的にイベントを開催し、APMがまちづくりの拠点であると認知してもらうことが重要である。
主催者は報告書にて「その街の歴史とリンクさせて新しいものを生み出していくことで、継続的なまちづくりを実現していけると考える」と、福島江の燈籠流しを例にあげて述べている。そのまちの歴史を学び、どういった経緯でその文化、風習が生まれてきたのか、廃れていったのかを検証し、それを現代に合わせた形で企画していくことで魅力的なイベントを開催できるのではないだろうか。(APM職員・森山)
2012年度最初の企画展は「ノー・モア・フクシマ」である。反原発ポスター展実行委員会の協力の下、開催された。第14回美術館大学は、「『ノー・モア・フクシマ』について」と題してU.G.サトー氏、福田毅氏、高田清太郎氏、秋山孝氏の4名に鼎談していただいた。
「ノー・モア・フクシマ」は1945年の「ノー・モア・ヒロシマ」から付けられたものであり、長岡市は刈羽原子力発電所のある刈羽村からおよそ25キロの地にある。「ノー・モア」のあとに私たちの町の名前が入らないようにしたいというサポーターズ倶楽部会長高田清太郎氏の開催宣言から美術館大学は始まった。
2011年3月11日に起きた東日本大震災は、地震、津波、原発事故という3つの不幸が重なった結果引き起こされた災害であった。会場に用意されたスクリーンに地震の歴史が映し出され、秋山館長が説明していく。日本は地震大国であり、私たちの記憶に新しいものだけでも1995年の阪神淡路大震災、2004年の中越地震、2007年の中越沖地震、2008年の四川大地震といくつもある。日本最古のものとしては416年の地震が日本書紀に記載されている。秋山館長は2004年の中越地震に心を痛め、デザイナーとして何ができるかを考えたときに、まずはポスターを作り、地震の記憶を風化させないことが重要であると考え、「地震ポスター支援プロジェクト」を立ち上げた。
一方原子力発電に関しては、1954年原子力研究開発予算が国会に提出されたことが契機となり、次第に加速していく。1955年に原子力基本法が成立し、1956年には原子力委員会が設置された。1986年にはチェルノブイリ原子力発電所事故が発生し、約350万人の反原発署名が集まるも無視される形となった。これは電力会社が広告業界を味方に付け、原子力発電の安全性をアピールしたこともひとつの要因である。日本人は徐々に原子力の存在に慣れてしまい、その結果、福島の原発事故が起こったのだとした。
反原発ポスター展を立ち上げたU.G.サトー氏は、1995年、フランス核実験のときのアーティストの行動について語った。当時核実験に反対したアーティストたちがFaxで画像を送信し、それを拡大したポスターを持ってデモを行ったとき、マスコミはこぞって取り上げた。今回の反原発ポスター展はなかなか関心を示してもらえないが、国内外から約250点のポスター作品が寄せられたり、朝日新聞出版の「朝日ジャーナル~わたしたちと原発」に掲載されたりと、徐々に反原発の訴えが理解されてきていると述べた。原子力発電については、人間の制御しきれない力を使うことは罪であると述べ、本当にエネルギーが不足しているのかどうか、どの程度必要なのかを綿密に計算し、必要な分だけ立地のいいところのものを稼動する、あるいはドイツのように何年までは使用するなど計画を立てて実行することが重要であるとした。
福田毅氏は現在日本に50基以上もの原発があることに驚いたという。そんなに多くの原発が本当に必要なのか疑問であるとし、撤廃することが難しいなら、一度すべての原発を停めて、必要分だけ稼動することが望ましいと主張した。また、行政の仕事は時間がかかり物事がスムーズに進まないことにも言及した。シンプルな組織作りを心がけ、無駄をなくしていくことの重要性を説いた。
地元代表として高田清太郎氏にもお話いただいた。原発の安全神話は、経済利益や政治的背景によって都合よく作られたものでしかない。原発停止による電力不足が叫ばれているが、実際どうなのかは疑問である。そこで重要となるのは、正確な情報の開示ではないか。作られた「神話」に寄りかかる安心よりも、正確な情報によってわれわれ自身が判断することに意味がある。居場所をなくす悲劇は、二度と繰り返してはならないとした。
質疑応答では、「実際に原発を停止した場合、そこに住んでいる人々を切り捨てることになるのではないか」という質問が出た。それに対して秋山館長は、あくまでも地元住民にも責任があることを伝えた。原子力発電を誘致する際、原発の可否を問う投票が行われているはずであり、政治家の甘言にだまされてしまう住民の無知や事なかれ主義が現在の状況を招いたとした。経済利益であったり、還付金であったり、多くの要因が複雑に絡まり、原発はもはや誰にも停められない恐怖の存在になってしまった。
最後に秋山館長より、今回4名の講師の方々からさまざまな意見を聞くことができたが、こうした場の設定と継続こそが大切であると締めくくられた。(APM職員・森山奈帆)
懇親会を開催いたしました。
今回の懇親会では、美術館大学でご講演いただいたU.G.サトー様、福田毅様のほか、遠藤亨様、宮川和夫様、伊藤彰剛様、御法川哲郎様、高橋庸平様といった出品者の方々にもご出席いただきました。
また、中澤義晴様より秋山館長へ曲をプレゼントしたいと申し出をいただき、「ふるさと」と「さくら」をひちりきで演奏していただきました。