牧野圭一 京都精華大学名誉教授
1937年(昭和12年)愛知県生まれ。第13回文芸春秋漫画賞受賞(1967)、日本漫画家協会賞「優秀賞」(1973)、トルコ漫画賞「セブル賞」(1979)など受賞。読売新聞社で15年の風刺漫画掲載を経て、京都精華大学マンガ学部の学部長を務める。京都国際マンガミュージアム国際マンガ研究センター長、日本漫画家協会理事も務める。
10月17日、第4回美術館大学が開催された。今回の美術館大学は、長岡デザインフェアと連動した企画でもあり、宮内地区の担当であった。牧野先生と秋山先生は旧知の仲ということもあり、対談は終始和やかに進んでいった。トークテーマは「プランニングと創作活動の情熱」である。千葉県船橋市の「ワンパク王国」を二人で手がけたときのことについて、「秋山さんが、「あぁ、あそこに美術館があったらいいね」とか「ここのゾーンもっと広げたらいいね」などと提案し、それがすべて実現していく。秋山さんは驚くようないい企画を持っている。それはそもそもデザインが一貫してワンパク王国のイメージを作り上げているからなんです」と牧野先生は語られた。ポーランドでの「現代日本漫画展」では、ある作品について、検閲官が撤去するよう言ってきたとき、牧野先生は、「表現は自由なんだから、それを外してはダメだ」「それを外すなら即刻帰る」と主張し、展示を変えさせなかったという。また、牧野先生の代表作品のひとつ、「純金金庫」の話題では、「(当時)この金庫に何を入れたらよいかというアンケートをとったら、フセイン大統領を入れてキンコ刑にする、という案がありました」と会場を沸かせる一場面もあった。どの話題からもお二人の発想の豊かさと創作活動に対する情熱がうかがえる対談であった。(APM職員)
斎藤公男 日本大学理工学部名誉教授(左)
1938年、群馬県生まれ。1961年日本大学理工学部建築学科卒業。1963年日本大学大学院工学研究科修士課程建築工学専攻修了。1973年日本大学理工学部建築学科助教授。現在、同大学理工学部名誉教授。2007 年から2009年の6月まで日本建築学会会長を務める。日本建築学会賞(業績部門:1986)、松井源吾賞(1993)、Tsuboi Award(1997)、Pioneer Award(2002)、BCS賞(1978,1991,2003)など受賞。著作に「空間 構造 物語」などがある。
9月4日、第3回美術館大学が開催。今回の講演は、日本大学理工学部名誉教授である斎藤公男先生をお招きしての対談である。斎藤先生は前日本建築学会会長も務められた建築界の権威ということもあり、来場者は建築関係者が多かった。
この日の美術館大学は、サポーターズ倶楽部会長の高田清太郎さんのご挨拶から始まった。「この美術館はただ展示するだけの美術館ではなく、積極的に美術活動する美術館です。その活動のひとつがこの美術館大学です」と美術館の特色を述べた。また斎藤先生は高田さんの恩師ということもあり、高田さんはご自分の学生時代のお話を交えながら斎藤先生のご紹介をされた。斎藤先生のお話では、特に「アーキニアルデザイン」という言葉が印象に残った。「アーキニアル」とは、「アーキテクチャ(建築)」と「エンジニア(技術)」の合成語である。斎藤先生が日本建築学会の会長に就任されたとき、特に地震災害と、耐震偽装対策に取り組むことを目標としたという。そのためには建築関係者に「責任」を持たせていくことが大切だと感じたが、「責任」と同時に「誇り」もなくてはいけないと考えた。そうしてカタチになったもののひとつが、『アーキニアルデザイン展』である。建築物を「建築(一種の芸術)」と「技術」の両面から親しんでもらおうという展覧会で、古今東西の建築物約130点がならんだという。学生たちが少ない予算をやりくりしながら「責任」と「誇り」をもって作成した模型である。秋山先生も「責任と誇り」のお話について、「プライドは行動するときのエネルギーになる」とたいへん共感したようだった。秋山先生は以前、「建築は芸術の総合だ」という言葉に疑問を持っていたが、パリのに行った際、ルーブル美術館の中に作品が展示されている様子を見て、納得したという。「美術館という建築物があって、初めて作品を展示できる。特に壁が重要なんです。だからこの美術館の壁は「火の壁」「地の壁」と名づけました」と壁の名前の由来を語った。また、建築には数値的な美しさがあるといい、「美しい建築物は数値的に美しいんです。黄金比と言うんですかね。ですからこれを僕のイラストレーションにも取り入れようと思ったんです」と建築とイラストレーションについて語った。対談後半には斎藤先生のお好きな建築物ベスト3を窺ったり、質問コーナーではサポーターズ倶楽部会長の学生時代の様子を知りたいといった意見が出るなど、楽しい時間となった。(APM職員)
8月2日に開催された第2回美術館大学では、彼は鳥の愛好家でバードカービング協会の発足に関わっておられ、鳥の生態系が自然環境の変化にゆがめられていることを知り、自然保護、環境問題に関心を持つようになったということです。ポスターのモチーフに鳥が多いのはそういう理由なのかもしれません。故郷に自分の美術館を作った理由については「自分が生まれた町に文化を根付かせたい」「子供たちに美術・社会・世界に感心を持って欲しい」と述べておられます。私がこの2回の美術館大学に参加し、お話を伺い作品に触れて感心したことは、世界各地で起こる様々な社会問題に対し一つ一つ心で受け止め、興味を持ったことに対し調べ、勉強するという彼の姿勢です。それを実行していくにはそれなりの「強くて優しい心」が必要で、その強くて優しいピュアな人間性が海外で高く評価されている理由ではないかと感じました。(京都造形芸術大学通信教育部補助教材「Kirara雲母」記事抜粋 (p.49)土田倖子/2009年11月号)
第1回美術館大学では「なぜポスターというジャンルを選んだのか」という部分で「社会性を持ち社会に対して強いメッセージを発信することが出来るからだ。」と話しておられます。また、「社会に対してメッセージを発することが自分の立ち位置だから」とも話しておられました。この「発信する立ち位置」でいるためには常に世界で起こる社会的な出来事に対し問題意識を持つ必要があると考えておられます。(京都造形芸術大学通信教育部補助教材「Kirara雲母」記事抜粋(p.49)土田倖子/2009年11月号)