日本ブックデザイン賞(JBD)2015は、秋山孝ポスター美術館長岡(APM)初開催の事業である。第31回美術館大学では、「日本ブックデザイン賞2015について」と題し、一般部門カテゴリーCで金の本賞およびグランプリ受賞者の大町駿介氏、学生部門カテゴリーC金賞受賞者の柏大輔氏、JBD実行委員会の末房志野氏、JBD審査員長かつAPM館長の秋山孝ら4名の講師から、JBDについて話を伺った。
まず、進行役の末房氏からJBDの運営についての説明があった。2014年12月に募集要項配布、2015年5月に応募作品受付、6月に作品審査および作品撮影、7月に審査結果発表、9月に展覧会および授賞式を行い、12月には来年度の募集要項を配布するという流れである。作品の募集については、部門は一般部門と学生部門の2種、カテゴリーは四六判サイズ(ブックジャケット)のカテゴリーA、文庫版サイズ(ブックジャケット)のカテゴリーB、そして私家版のカテゴリーCの3種が設定された。また、審査の基準を明確にするため図書の選択は限定し、6冊の課題図書を設定した。課題図書は文学作品に絞った。これは本との関係を考えたとき、イラストレーションが文学作品とともに発展してきたことを考慮したためである。審査員は、ブックデザインに見識のある方を中心に依頼した。応募総数は626点。学生からの応募が非常に多かった。カテゴリーの分類、広報の方法など、今後の検討課題も見つかったと末房氏は語った。
次に秋山から、「なぜポスター美術館でブックデザインを扱うのか」ということについて説明を受けた。ポスターは1枚の紙で表現することを求められ、瞬間的な喚起や理解を促すことができる。一方、本は何百枚という紙に知識や知恵が詰め込まれ、読み進めることにより理解する。一見両者は異なるものだが、メディアが紙であるという共通点、印刷技術を使ってより安価に、より多くの人々に周知するという類似点がある。それは呼応し響きあう関係である。したがってポスター美術館でブックデザイン賞を行うことには意義があると述べた。
続いて受賞者2名から受賞作品について話を伺った。大町氏は私家版「宮内・摂田屋百景」でグランプリを受賞した。大町氏が宮内と摂田屋の建物をイラストレーションで記録したものが「宮内・摂田屋百景」である。特別な人の残した特別な建物ではなく、一般の人々が修繕しながら使ってきた昔ながらの民家が残っていることに感動し、作品を著したという。柏氏の受賞作は「thousand Illustration source(=千点のイラストレーションの源泉)」。その名のとおり1冊に1000枚のイラストレーションが収められている。柏氏はポスターに用いられるイラストレーションに興味があり、どういうものに魅力を感じるかを研究したところ、「テーマを表現していること」「テーマアピール力があること」の2点があると考えた。その2点を意識したもののアイデアを書き出し、まとめた本が今回評価を受けたと述べた。
末房氏は3名の講師に影響を受けた本について尋ねた。秋山は、ワーズワースの詩集や東洋の経本、ジャン・コクトーの雑誌など、貴重書を実際に見せながら、本の歴史、役割、技術などを紹介した。例えば本の小口に押された箔は本をしみや虫から守り、拓本で作られた書物は印刷された書物よりはるかに長期に保管できると述べた。
大町氏は今和次郎の「日本の民家」を紹介した。日本の民家を体系的に著した初めての書物であり、特別な建築物ではなく、一般の民家を選んでいるところが素晴らしいと大町氏は言う。写真ではなくイラストレーションを用いていることによって、今が建物のどこに魅力を感じているかがよく伝わり、非常に感銘を受けた。そこから「宮内・摂田屋百景」が生まれたのだと言う。
柏氏はベルギーのイラストレーター、ジャン・ミシェル・フォロンの「Posters of Folon」を選択した。この本を選んだ理由は2つあり、1つは、見開き2ページのうち1ページに作品を載せ、1ページは白紙としたことである。ポスターはメッセージ性が強く、見開き両ページに作品が配置されていると視覚的干渉を受ける。シンプルだがすばらしい構成であると述べた。2点目は印刷方法。フォロンの作品の特徴はグラデーションと色の美しさを生かしたフォトリトグラフという製法で作られている。これは初版本だけの特色だという。
末房氏はそれぞれの紹介した本について三者三様であったと感想を述べた後、秋山に対しては本への溢れる思いが伝わってきたと、大町氏、柏氏には受賞作品を制作したその背景がわかったと語った。
最後に末房氏は、グランプリを受賞した作品が大町氏の「宮内・摂田屋百景」であったことに驚きを感じたが、一方で審査員の審美眼の正しさに心を打たれたと述べた。コンペティションなどでは、とかく目を引く作品に賞が授けられがちである。秋山は、我々はJBDに応募してくれた人たちに正しい評価をしたいのだと述べた。才能のある人に、正しい評価を与えて太鼓判を押してあげたい。才能のある人が世の中で活躍してほしいというのがJBDの根本であるとまとめた。(APM職員・森山)
摂田屋は、新潟県長岡市にある一地域である。酒や味噌、しょうゆなどの蔵元6件がこの地域に集中していることから「醸造の町」として近年注目されている。この摂田屋の街並みを大切にし、住民が主体となってまちづくりに取り組もうと策定したものが摂田屋まちづくり協議会策定の「まちづくり協定」である。摂田屋地区まちづくり協議会・顧問であり長岡造形大学教授・渡辺誠介、摂田屋の地元企業である㈱高田建築事務所の代表取締役社長・高田清太郎、長岡市宮内出身の多摩美術大学教授・秋山孝の3名が講演した。
まず、渡辺教授から摂田屋のまちづくり協定について説明を受けた。まちづくり協定とは、それぞれの地区の特性に合った景観・街並みの形成などを目的として、その地区の住民が自主的に定めたまちづくりのルールを示す。具体的には、母屋やカーポート、庭、生垣など外から見える部分を摂田屋の街並みに相応しいものとすることである。
摂田屋のまちづくり協議会が発足したそもそものきっかけは、2004年、長岡駅駅長から持ちかけられた「駅からハイキング」というイベントであった。東京から参加者を募り、摂田屋の蔵などを見学する企画である。摂田屋の人々はこのイベントに全く期待していなかったが、ふたを開けてみれば40名もの参加者が集まった。そこで初めて住民たちは摂田屋の魅力に気づいた。しかしその直後の2004年10月23日、中越地震が発生する。1945年の長岡空襲を免れ、大切に使われてきた摂田屋の建物群であったが、ようやく住民が街並みの魅力に気づいたところで災害に見舞われ多大な被害を受けてしまった。摂田屋の魅力発信をあきらめかけたそのとき、災害復興の補助金によって建物は修復された。NPO法人を設立し、長岡造形大学との連携もとられはじめ、摂田屋は少しずつ賑やかさを益し、注目されるようになってきた。そこに着目した長岡市は、「街なみ環境整備事業」の促進エリアに摂田屋を指定し、まちづくり協議会が発足した。
まちづくり協定とは、住民間の紳士協定のようなものであると渡辺教授は説明する。その協定を守らなかったからといって法的制裁があるわけではない。あくまでその住宅はその家に住む住民のものである。助成を受けるためにしぶしぶ協定どおりの外観デザインを受入れるよりも、協定の枠内でどれだけ理想とする建物デザインにすることができるかが大切であると渡辺教授は語る。それはデザイナーの力量にかかってくる。摂田屋の街並みに合い、さらに戸主の思いに適うデザインを考えてほしいと、建築設計士に向けて言葉を贈った。
高田は、自社が今まで関わってきた数ある建築物の中から、和風建築の事例を挙げて説明した。漆喰を使った住宅、木造の重厚な住宅、蔵のような外観の住宅、屋根が建物全体の3分の2を占める住宅、コンクリート・漆喰・木など素材が混在した住宅など、実に様々な建物を紹介した。顧客からも和風建築を望む声はあるが、純粋な和風建築をという声は少ない。どこかにこだわりがあり、オリジナリティを求める。建築設計士は顧客の声に耳を傾け、町の在り方を考え、両者にとって最良のデザインを見つけてほしいと語った。
秋山はデザイナーにできることは何かを考え、宮内と摂田屋を理解するため年月をかけて調査した。まずは2012年の越後百景十選のポスター作成で新潟県の魅力を、続いて2014年の宮内・摂田屋百景のポスターで宮内と摂田屋の魅力を再発見した。宮内・摂田屋のポスターを元に地図を作成し、宮内とは、摂田屋とはどのような町なのかを考えた。その結果、宮内・摂田屋の地形は二つの川と三国街道からなり、三国街道には現在定説とされている道の他に、高彦根神社を通過点とする道が存在していたことがわかった。そうした過去の文化、歴史を忘れてはならず、建物もまたその土地の文化、歴史に沿ったあるべき姿であってほしいと訴えた。それは、その土地で暮らしてきた人々が長年かけて辿り着いた必然性のある形であり、その土地の自然に合った姿であるからである。
最後の質疑応答の時間には多摩美術大学大学院生の柏大輔より質問がなされた。渡辺教授が説明したまちづくり協定のルール「新しいものを緩やかに制限すること」と、秋山の取り組んだ宮内・摂田屋百景の「古きよきものを再発見すること」の両輪がかみ合った場合、その仕組みの完璧さに驚くのだが、何か抜けているものがないかというものであった。これに対し渡辺教授は、宮内・摂田屋百景の古きよきものを見いだしたあとの活用が未定なことを指摘し、まちづくり協定については、住民が昔からの立場に囚われ、意見交換の場でも思うように発言できないといった問題があるのだとした。そういった問題に対してはじっくり話し合い、考え、時間をかけて丁寧に理解していくことが道を開いていくのだと語った。(APM職員・森山)
秋山孝ポスター美術館長岡(APM)の開館当初から定期的に開催してきた「秋山孝ポスター展」。7回目を迎える今回から「秋山孝の神秘」という展示名がついた。これは、秋山孝(多摩美術大学教授・APM館長)のポスター作品表現の秘密を解き明かすことを目的としたシリーズ企画であり、今後定期的に開催していく予定だ。毎回テーマを設け、秋山孝の秘密のひとつひとつを研究していく。第1回目のテーマは「メタファー」である。秋山の表現において、とても重要な要素である。展示初日に開催した第29回美術館大学では、たかだみつみ(APM学芸員)の進行のもと、秋山本人が「メタファー」について語った。
そもそも「メタファー」とは何なのか。
主に言語分野で使われる修辞技法のひとつである。日本語では「暗喩」「隠喩」と訳され、直接的な表現ではなく、わからないように指し示したり意味を持たせたりする、比喩表現の一種である。「メタファー」の歴史は古く、古代ギリシャ時代にまで遡る。ソクラテスやプラトンをはじめとする多くの哲学者が「メタファー」を研究をしてきたが、未だに結論が出ていない。
イラストレーション(視覚分野)での「メタファー」表現を試みている秋山であるが、言語における「メタファー」の研究も長年行なっている。それが、「言葉のスケッチ」というシリーズである。20代から43年間継続して行なっている研究で、日々、心に浮かんだ言葉を書き留めている。秋山は「言葉のスケッチ」や松尾芭蕉の俳句の幾つかを例に上げて、言語分野における「メタファー」を説明した。短い一文の中に読み手は想像を広げ、言葉の向こう側に広がる世界を感じ取るのだ。そこにいかに想像の広がりや、共感を生み出すかが、優れた「メタファー」といえるのではないだろうか。
いよいよ話題は、秋山にとって最大なる難問である、視覚分野における「メタファー」についてとなる。表現において最も重要なキーワードは「言わない」「描かない」であると秋山は語る。
今回の企画展ポスターを例に挙げてみる。中心には犬らしき形が描いてある。秋山の愛犬ゴマを描いているのだが、目や口をはっきりとは描かずにあくまで「犬らしきもの」でとどめている。その口もとらしき部分からは展示の基本情報が発せられているようだ。実際のゴマが話す事は無いが、このポスターでは秋山の代わりに情報を発している。正に「声なき声」である。背景はオレンジとグリーンの色面で分割されている。色面の分割位置や色の印象から、グリーンの色面を芝生と想像する人もいるだろう。オレンジの色面を夕焼けの色だと想像する人もいるだろう。もしくは、明るい空間と捉える人もいるだろう。観る人によって解釈が変わる。それが「メタファー」なのである。
今回の企画展の展示作品は御法川哲郎(長岡造形大学准教授・APM事務局長)が選出した。御法川は、秋山のポスター作品を見返しながら、直接的な比喩ではなく他の物で置き換えて表現することによって、イメージに広がりが出るということを感じたという。
秋山の話の中で、龍安寺(京都市)の石庭が例にあがる。区切られた敷地の中に、大小様々な石を配置して、実際にはそこには無い水の流れや山等、壮大な自然の情景を表現している。日本ではこのような表現技法を「見立て」と言う。日本の文化では至る所でこの「見立て」が使われてきた。表現したい物を他の物になぞらえて表現することである。すなわち「メタファー」なのである。世界中の多くの人がこの庭を訪れ、口を閉ざして、じーっとそれを見つめる。そこに何を見ているのか。自分の人生を見ているのだと秋山は語る。数百年たった今でも色あせることなく、また、遠い異文化の人が見ても美しいと感じる日本の美が持つ魅力は、「見立て」=「メタファー」にあるのである。
直喩と暗喩の違いは言語分野においては比較的説明しやすいが、視覚分野での説明は難しいようだ。秋山の考察では、視覚分野における直喩は、図鑑などにみる説明画がそれにあたる。その反対に位置する暗喩表現における絵画がアートとなる。しかし、説明画の中にも暗喩が垣間見える時があり、また、「メタファー」が芸術であるかというとそれもまた言い切ることができない。秋山もまだはっきりと区別することができないでいる。人々はすぐ、難しいものや理解し難いものを簡単に分かり易く説明することを求める。しかし、難しいものを理解するには膨大な時間が必要なのだ。私たちは、物事は簡単にはわからないという事を理解しなければならない。「メタファー」も然りである。また、私たちは「メタファー」を作り上げる喜びを持ちながら生きているという。過去の経験や感動により、共感が生まれ、それが「メタファー」となる。この事が、芸術を理解する一番のきっかけとなるのだと秋山は語る。
最後に受講者から、作品制作の上で自分の「メタファー」が観る側に伝わらないかもしれないと不安になることはあるかという質問に対して秋山は、「それは常にある」と答えた。そもそも、全員に伝わる方法は存在しない。だからといって、表現することをやめてはいけない。やり続けることが重要であると語った。
今回からはじまった「秋山孝の神秘」の研究であるが、全てを理解するのは容易な事ではない。だからこそ、私たちはひとつひとつを丁寧に紐解きながら研究を続けていかなければならない。その積み重ねが、真実となるはずだ。(たかだみつみ・APM学芸員)
第28回美術館大学は、現在開催中の第19回企画展「『イラストレーション・ダイアログ』展 6年間の試み」における2回目の美術館大学である。この企画展は、高橋庸平(東京工科大学助教、多摩美術大学非常勤講師)が2009年から毎年継続的に開催している「イラストレーション対話展」の6年間の検証を行うものである。今回の美術館大学は、4月18日(土)の第27回美術館大学「イラストレーション・ダイアログについて1」に続くものであり、2012年から2014年までに開催した「イラストレーション対話展」の参加アーティスト4名(高橋庸平、小川雄太郎、御法川哲郎、千田昇平)を講師として招き、館長・秋山孝が進行を務めた。
最初に、各回の展示テーマについて尋ねた。小川との展示テーマは「ポスター」。会談中に登場したメタファー(隠喩)という重要なキーワードについて館長から小川にポスターにおけるメタファーとは何かという質問があった。小川は、作者の考えや思いが何らかの形で作品に力を与えることであり、作者が最も伝えたいこと(=メッセージ)をあらわすものである。メタファーのないポスターは思想や芸術性のない、ただの情報伝達であると述べた。
御法川とのテーマは「ポスターの機能と表現」。高橋は御法川を観察し、このテーマを設定した。それは、御法川が会話中に「表現」という言葉を多用すること、御法川がある時期からポスターの情報伝達の「機能」を重要視しているように感じたことから、この二つをキーワードとして選んだという。実際、御法川にとってこの二つの言葉は、ポスターを制作する上で大切にしていることであった。
「命の視点」というテーマを設けたのは千田との展示である。千田は「もの」と「もの」との境界、生きているものとそうでないものの差、共通点を見いだしたいと考えており、高橋はその言葉にならない感覚を感じ取り「命の視点」というテーマを設定した。高橋は命を根底とした原発問題や時事問題をテーマに制作し、千田は命あるものとそうでないものの「境界」を描き出した。館長は、「命の視点」と「境界」というキーワードには響きあう世界を感じると述べた。
イラストレーション対話展にはどのような気持ちで臨んだかという館長の質問に対して、高橋は相手の作品と自分の作品を並べることにプレッシャーを感じ、また、そのプレッシャーを相手にも与えたいと考えていたと話す。相手を意識したテーマ設定、作品制作は、その時点から相手との対話の始まりであったと回想する。それは小川、千田も同様であった。御法川も同様であったが、彼には更なる思いもあった。2009年から始まった「イラストレーション対話展」は、高橋が一緒に展示してみたいと感じたアーティストに声を掛け、継続してきた。その中で、唯一逆指名を受けたのが御法川であった。御法川は当時、創作上で解決できない問題を抱えていたが、高橋はその部分を軽々と越えたように御法川には感じられた。その後、御法川自身もその問題を解消できたと実感できたときに、改めて高橋の作品と自身の作品を並べてみたいという欲求が生じ、展示を依頼したのだという。
最後に、館長は次のような言葉を私たちに伝えた。
作品による対話とは、己が考えている以上に人の心を支配したり、されたりしているものである。思いがけないところで相手のことを評価し、魅力を感じている。身近なところにライバルがいて、お互いに刺激を与え合う、そうした関係がなくてはよい作品は生まれない。終わりなき挑戦、作品による実証を続けながら、創作者の皆が世界で活躍することを願っている。(APM職員 / 森山)
秋山孝ポスター美術館長岡(APM)で開催中の第19回企画展「イラストレーション・ダイアログ」展 6年間の試み は、高橋庸平(東京工科大学助教、多摩美術大学非常勤講師)が継続的に開催している企画「イラストレーション対話展」の過去6年間の成果を検証する内容となっている。この企画は、高橋が毎回違うアーティストと、テーマを決めて作品を発表し合う2人展であり、毎回渋谷区神宮前にあるPATER'S Shop and Galleryにおいて開催している。今回のAPMでの展示では、高橋と過去の参加アーティスト6名(第1回 伊藤 彰剛、第2回 末房志野、第3回 高橋真理、第4回 小川雄太郎、第5回 御法川哲郎、第6回 千田昇平)の当時の作品と新作を併せて展示をしている。
展示期間中には、この企画に関する美術館大学を2回開催する。参加アーティストと共に、前半・後半に分けて「イラストレーション対話展」の6年間を振り返り、そして検証していく。今回は、高橋(庸)、伊藤、末房、高橋(真)の4名を招き、館長・秋山孝が進行を務めた。5名の問答の中に「作品を通して行う対話(ダイアログ)」とは何かが見えてきた。
まず、第1回~3回の振り返りから始まった。第1回は、衝動的に始まったと高橋(庸)と伊藤は語る。彼らの、表現への探究心や作品を発表したいという情熱が、その衝動を起こしたのであろう。その衝動で始まった企画が、継続する企画に至った理由は、高橋(庸)の中に「作品を通して行う対話」の理想像があり、それに向かって進み続けている結果であると語った。伊藤、末房、高橋(真)もこの企画に参加するにあたり、それぞれに葛藤や苦しみ、そして反省があったそうだ。そして、展示に向けての作品制作中は、それぞれが相手のことを意識しているということがわかった。相手の事を知ろうとし、追求し、深く考える。それは、実際に会話はしなくとも、その意識自体が相手と対話をしているということになるのだ。そして、その過程を経て出来上がった作品を通しても、相手の本質が見えてくるという。言葉での会話は、時に偽りや虚勢が発生するが、作品にはそれができない。よって、実際に会話をするよりも、相手を理解できる対話方法なのではないだろうかと館長は分析した。また、同じ分野にいる人たちを意識し、他者とは違う独自の表現方法を探究することが自分自身を見つめ直す機会にもなる。つまり、自分自身との対話にもなっているのだ。
最後に館長が、「イラストレーション・ダイアログ」は、言葉のやりとりとは全く違うプロセスで相手を理解しようとし、同時に自分自身も見つめているということがわかった。そして、それが従来の対話とは違う、魅力的なものであるということが理解できたとまとめた。
この検証は次回の美術館大学に続く。「イラストレーション・ダイアログ」についてより深く考察できる内容になるだろうという期待感と共に、今回の美術館大学は幕を閉じた。(たかだみつみ・APM学芸員)