2-3-9 美術館大学 記録 (2010年)

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  • ●第5回美術館大学 「秋山孝 中国ポスターを語る」
  • ●第6回美術館大学 「秋山孝 自作を語る」
  • ●第7回美術館大学 「まちづくり鼎談 中越大地震と創造的復興+APMリノベーション」
  • ●第8回美術館大学 「上組小学校美術館大学 教育・美・感動」
  • ●第9回美術館大学 「100年の風・リプチの月」「私にとっての構造デザイン」

  • 第9回美術館大学

    • 日  時:2010年 12月 8日(水)15:00-16:40
    • 場  所:秋山孝ポスター美術館長岡
    • 題  目:秋山孝 先生「100年の風・リプチの月」、斎藤公男 先生「私にとっての構造デザイン」
    • 参加者数:57名

    長岡市の摂田屋地区にあるリプチの森。この日、そのリプチの森の広場に「リプチの月」というモニュメントが建てられた。幸い天気にも恵まれ、青空の中すっくと立っていた。さて第9回の美術館大学は、高田建築事務所の勉強会とのコラボ企画となった。よって内容も専門的である。「テンセグリックシステム」とは何だろうという「?」を抱えながらの参加となった。初めは秋山先生より、「100年の風」と「リプチの月」ができるまでをご講演いただいた。「リプチの月」は冒頭にもあるとおりリプチの森の広場に建てられたモニュメント、「100年の風」は新潟県立長岡商業高等学校の創立100周年を記念したモニュメントである。どちらも秋山先生がデザインし、斎藤先生が構造設計したものである。秋山先生は「100年の風」をデザインするとき風が抜けるようなものをイメージしたのだという。APM職員である私もいくつかスケッチを見せていただいたが、どのデザインも大地から天に向かってすっと立ち、風が吹き抜けるという表現がしっくりくるデザインであった。最終的に決定したデザインはソロバンの珠のデザインも加わり、商業高校らしいものとなっていた。「リプチの月」のモチーフは「月」。月は日本人にとって美のシンボルなのだという。こちらは足元が軽く、浮いているようなものをイメージした。秋山先生がこれら作品を生みだすときに重要なこととして①不可能を可能にする、②非常識から美を創造する、③始まりは手のひらサイズのアイデアスケッチから、の3つである。斎藤先生のご講演は、第3回美術館大学でもお話されたアーキニアリングデザイン展(AND展)から始まった。AND展は、構造の楽しさを子どもや一般の方にも感じてもらいたいという想いのもとに実現したものであり、世界遺産や歴史的建造物などさまざまな建物を模型として再現しており、「構造」という専門的なものに親しんでもらおうという展覧会である。ルーブル美術館は有名な建造物であるが、その中のガラスの逆ピラミッドに使われているのが「テンセグリックシステム」である(おそらく)。そもそも「テンセグリック」とは何か。類似の言葉に「テンセグリティ」がある。テンセグリティとは張力(tension)+統合(integrate)であるが、テンセグリックはその広義の言葉であると思われる。張力によって物体を統合することである。この手法を用いることによって柱や梁がなくとも屋根を支えることができる、らしい。「100年の風」もワイヤーの張力によって自立するのだとか。見た目は華奢で透明感のある「100年の風」だが、地震にも風雪にも負けない構造になっていると斎藤先生は自信を持って断言された。(APM職員)


    第8回美術館大学

    • 日  時:2010年 10月 2日(土)15:00-16:30
    • 場  所:秋山孝ポスター美術館長岡
    • 題  目:「長岡市立上組小学校美術館大学 教育・美・感動」
    • 入館者数:48名

    多摩美術大学の大学院生・卒業生による作品で埋め尽くされた会場で8回目となる美術館大学が開催された。今回は長岡市立上組小学校の先生方をお招きしてお話をうかがうことができた。最初にお話いただいたのは池上秀敏校長である。上組小学校は特に美術の授業に力を入れており、取り組みとしては「こだま美術館」が有名である。「こだま美術館」は平成11年から始まった活動であり、企画・運営などすべてを生徒がおこなう校内美術館である。新潟県立近代美術館に見学に行き、美術館の役割や成り立ち、運営について学び、そこで学んだことを「こだま美術館」で実践する。館長・福館長も生徒の中から選び、作品説明を行う学芸員も生徒自らが行う。池上校長は新潟県立近代美術館にいらっしゃったこともあり、その経験を活かして美術館についての授業をされたり、普段は見えない部分の仕事についてお話する機会もあったようである。「心の教育とかかわらせた造形教育」であり、「美しさを感じ、想いを表現」することの大切さについて語られた。次にお話いただいたのは金澤健志先生である。金澤先生には昨年APMを6年生の図画工作の授業に使っていただいたこともあり、そのときの授業の様子を発表された。秋山館長の初期の作品にセリフをつけるという授業であったが、金澤先生自身、生徒の発想の柔軟さに驚かされたという。秋山館長の作品は、飛べないダチョウが飛行機に乗ることで空を飛ぶというもので、「不可能を可能にする」というメッセージを読み取る生徒がいる一方、「できないことはムリしない」という受け取り方をした生徒もいたとか。金澤先生は今は「見る」ということに重きを置いて指導されているという。「名画を描く」や「摂田屋を描く」などの取り組みを通して、「本物」をよく「見」て描くことの重要性を伝えている。名画の模写などは特徴をうまく捉えた作品が多く、未来の芸術家を予感させるものばかりだった。最後にお話くださったのは、水谷徹平先生である。水谷先生は30歳のときに白血病を発症し、「5年生存率は3割」と宣告された。突然の病気で自分の死について考えたとき、生徒にいのちの大切さを伝えたいと思い、無菌病室からテレビ電話システムによる授業を行った。また、病院には水谷先生と同じ病気で長期入院している患者さんもおり、勉強に飢えているそれらの患者さんに病室で授業したことも。幸い、水谷先生の病状は回復し、今は再び教壇に立つことができる。しかし「いのちの授業」はその後も続き、稲作体験を通して「いただく命」について考えさせたり、自分史を作らせたりと、様々な手段でいのちの大切さを訴えている。これからの試みとして、文章以外の方法で表現させることに挑戦したいという。考えさせる授業を行った場合、どうしても作文での表現が中心となりがちだが、絵でも詩でも音楽でも、多様な手段での表現を可能としたいと語られた。秋山先生による質問の時間も設けられた。「なぜ上組小学校は美術教育に力を入れるのか」という池上校長に対する質問、「『本物』と『偽物』の違いとは何だと思うか」という金澤先生への質問、「壁に突き当たったとき力が沸いてくるが、その力とは何だと思うか」という水谷先生への質問のほか、「先生とはどんな職業か」「町づくりについてへの質問」といった3名の先生へ向けた質問もあり、それぞれの先生の職業、町への思いが伝わってきた。(APM職員)


    第7回美術館大学

    • 日  時:2010年 8月 2日(月)15:00-16:30
    • 場  所:秋山孝ポスター美術館長岡
    • 入館者数:45名
    • 講演内容:「まちづくり鼎談 渡辺斉×高田清太郎×秋山孝
    • 中越大地震と創造的復興+APMリノベーション」

    8月の太陽が照りつける中、第7回美術館大学が開講した。平日の開催にもかかわらず、多くの方に訪れていただいた。今回の美術館大学は、新潟県新発田振興局の渡辺斉氏と高田建築事務所・代表取締役であり、APMサポーターズ倶楽部会長でもある高田清太郎氏に、当美術館の館長秋山孝を交えての「まちづくり鼎談」である。渡辺斉氏は2004年の中越地震では復興に際し、応急仮設住宅の総括を担い、活躍された方である。中越地震の被害状況や地域の特徴、仮設住宅の間取りや、そこから見える改善点など、スクリーンに映し出されるデータや写真は地震当時の生々しさを伝えてきた。一方、秋山先生はご自身の参加されておられる地震ポスター支援プロジェクトについての話題。地震ポスター支援プロジェクトは2004年から始まり、今年で6年目となった。そもそもは地震という自然災害が起こったとき、自分にできることとは何かを考えたことがきっかけだったという。ある人は直接現地へボランティアに赴き、ある人は遠くから何かを寄贈する。それが秋山先生にとっては、ポスターを作り人々の記憶に残すことであった。それぞれのできることを行うことで町は、世界はよくなっていく、と締めくくった。高田清太郎氏のお話もまた興味深い。高田建築事務所さんは「リプチの森」という小さな「まち」をつくっているが、そこにサポートセンターができた。それは、地域密着型介護拠点の特別養護老人ホーム+小規模多機能施設+地域交流施設という多くの機能を持った施設であり、「プチリプチ」という愛称で呼ばれている。今までのような大型施設ではなく、住み慣れた町の中で、お年寄りと子どもたちが互いに触れ合いながら過ごせる施設である。仮の住まいであっても、居心地のいいものを造りたいという高田氏の信念が感じられた。三者三様の「まちづくり」に関する鼎談であったが、根底に流れるものは同じであったと思う。(APM職員)


    第6回美術館大学

    • 日  時:2010年 7月 10日(土)15:00-16:30
    • 場  所:秋山孝ポスター美術館長岡
    • 入場者数:65名
    • 講演内容:「秋山孝 自作を語る」

    秋山先生の作品が1年ぶりに帰ってきた。今回の展示は、美術館オープンポスターから「秋山孝 in シカゴ 2010」までの近作24点に、代表的作品37点を合わせた計61点が並んだ。やはり当美術館の白い壁には、秋山先生の作品が映える。美術館大学の講演内容は「秋山孝 自作を語る」で、近作24点を中心に解説していただいた。美術館に縁のある作品、恩師である福田繁雄先生のオマージュ作品、汗血馬の作品などについてのお話をされる中で、新潟県民にはさまざまな思いのある地震のポスターにも話は及んだ。秋山先生にとって地震というと新潟地震と阪神淡路大震災が印象深いという。新潟地震はご自身も幼少期に経験しており、思い出を交えての解説となった。また、当館に展示してあるポスター作品は商業ポスターが一枚もないことにも言及した。商業ポスターは商品を売るためのものであり、売りたいという欲望のようなものが見えてしまうのでいけないという。秋山先生にとってのポスターは、メッセージを伝える手段であり、そのメッセージは欲望であってはいけないというのが秋山先生の考えである。(APM職員)


    第5回美術館大学

    • 日  時:2010年 5月 1日(土)15:00-16:30
    • 場  所:秋山孝ポスター美術館長岡
    • 入場者数:30名
    • 講演内容:「秋山孝 中国ポスターを語る」

    GW前半、晴れ渡った空から日差しが降り注ぐ中、今年度最初の美術館大学が開催された。今回のテーマは企画展にあわせて、「中国ポスターを語る」である。会場には建国初期から文化大革命時代の中国ポスターが中心に展示されている。「中国の人々はポスターを家の中に飾る習慣があったという。ポスターに込められたメッセージが、毎日見続けられることによって、徐々に国民の心に浸透し、思想として定着していく」(秋山孝「Chinese Poster」より)ということからもわかるように、当時、中国のポスターは思想統制の一手段として用いられた。また、多民族国家である中国では、同じ国内でも、言語が異なることがある。そうした場合、言語による訴えよりも視覚によるものの方が影響が大きいとし、ポスターでの政治宣伝を図ったという。秋山先生の講義を聞くなかで繰り返し感じたのは、毛沢東はかなりの策略家だ、ということである。毛沢東はポスターを効果的に使うことで、政策が順調であるように装ったり、あるいは健康をアピールしたりもした。その中で、1966年から1968年の3年間は毛沢東の神格化が際立つ期間である。「万歳」や「前進」といった言葉とともに、太陽を背負った毛沢東のポスターが多く制作された。質疑応答の際には、「プロパガンダポスターが最初にみられたのはどこでしょうか」という質問に対し、プロパガンダポスターの元はフランスやイタリアなどのヨーロッパであるが、中国でのそれは、他国と比べてはるかに長期間にわたり、数多くの種類と枚数のポスターが制作されていたという特色を語られた。(APM職員)

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