開催中の企画展、多摩美術大学大学院イラストレーションスタディーズ「メッセージイラストレーションポスター」展6の出品者の1人である柏大輔氏(多摩美術大学博士課程)がこの度、第26回ブルノ国際グラフィックデザインビエンナーレ2014(チェコ)にてブルノ市長賞(大賞は該当者無しだった為、実質この年で最も優秀な賞)及びビジターズアワードの2賞を受賞したことを記念し、館長・秋山孝と共に同ビエンナーレについて講じていただいた。秋山館長も1986年に同ビエンナーレでアルティア賞を受賞している。
ブルノ国際グラフィックデザインビエンナーレは、1964年に世界で初めて開催された、最も歴史のあるビエンナーレである。また、ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ(ポーランド)とラハティ国際ポスタービエンナーレ(フィンランド)と共に、世界3大ポスタービエンナーレとされている。
チェコにはかつて、現在の書籍の形を生み出したチャペック兄弟がいた。兄のヨセフはデザイナーであり、弟のカレルは作家であった。大量生産で安く本が手に入るようになった時代の中で、売れる本を作る為に、彼らは本の装丁にイラストレーションを用いることを始めた。このような歴史から、当ビエンナーレでは、ポスターとブックデザインのコンペティションを行っている。
第26回の当ビエンナーレは「教育と学校」をテーマに、学生に焦点を当てた内容であった。柏氏は、3000点にも及ぶ「無意識による描画」技法によるイラストレーションの作品集と、そこからイメージを引用し、展開したポスター作品を出品した。彼の作品群は、全てがナンバリングによって整理されており、どの作品から派生したポスターであるという過程がわかるようになっている。その一連のプロセスが評価されたのだろうと、柏氏は語った。その話を聞きながら、ひとつひとつ確実に積み上げていくという、館長の仕事のスタンスと通じるものがあると感じた。
彼は「無意識の表現から意識の表現への展開によるイラストレーションの研究」をテーマに日々研究を重ねている。描画技法はPhotoshopとペンタブレットを用いたデジタルデータである。伸ばしても色の鮮やかさが変化しない画材を探した結果、このツールに辿り着いたという。オートマティスム技法によって無意識に描き出した形から、具象物を描き出し、コミュニケーションツールとして展開する。その上でオートマティックに描く「描画」と、そこから具象物を描き出す「描画」は異なる行為であると考え、その理論化を試みている。現在は、オートマティスムと無意識の関係性を証明することに苦戦していると語った。
彼の研究のベースには「シュルレアリスム」がある。彼独自のデジタルツールによる描画表現が、新たなシュルレアリスム表現を切り開くことになるだろうと、館長は期待を示した。
柏氏の話の中には「真実」という言葉が幾度か登場した。研究は、彼にとっての「真実」を追求することである。そして、その「真実」を広く一般的な事にすることを目指しているという。館長からのするどい質問に答える中で、自分の挑む課題に対し苦悩する彼の姿が見えた。そんな彼へ、師であり良き理解者である館長は、「行き詰まったら言葉を探す」という助言をした。言葉でつくるイメージと絵でつくるイメージには誤差が生じる。その事を理解する事が重要であると語った。また、「誰にも理解されなくてもいい」と考える、気持ちに余裕を持つことを勧めた。講演中に2人で語り込む場面もあり、良い師弟関係の姿が見えた。
柏氏にとっての「真実」を証明できた時、作品がどう進化するのかがとても興味深い。彼の更なる活躍に期待したい。(たかだみつみ・APM学芸員)
【参考文献】
多摩美術大学大学院イラストレーションスタディーズ「メッセージイラストレーションポスター展6」
メッセージイラストレーションポスター展委員会(2014)
通常、火曜日は秋山孝ポスター美術館長岡(APM)の休館日であるが、この日は特別開館日として第25回美術館大学を開催した。講師に長岡造形大学建築・環境デザイン学科教授・山下秀之氏、株式会社 高田建築事務所代表取締役社長・高田清太郎氏を迎え、「もりもり鼎談:2013年度日本建築学会北陸支部 文化賞2作品(マルの杜とリプチの森)について」と題し、両氏がそれぞれ受賞した作品に関してお話いただいた。進行は、当館館長・秋山孝が務めた。参加者は建築に関わる人が大多数を占め、非常に専門性の高い内容となった。
まず、高田氏にまちづくりをする上での考え方と今回の受賞作品「リプチの森」について語っていただいた。高田建築事務所ではまちづくりを「間知(まち)づくり」と表記している。それは、まちづくりの上で「間」というものが重要であると考えるからだ。高田氏は「居場所探しの旅」が人間の生きる上でのテーマであると言う。快適な居場所というものは、距離感と方向の関係で決まる。適度な距離感と、建物を建てる向きに少し角度をつけることで、プライバシー空間を確保し、そこで暮らす人々にとって心身共に健康的な空間を作り出すのだ。
その考え方の下、作り出されたのが「リプチの森」である。長岡市摂田屋の一角にある自動車学校の跡地に「再び(リ)小さな(プチ)森をつくろう!」を合言葉につくられた新しいまちである。「自然との共生」「歴史との共生」「人々の共生」という3つのコンセプトを掲げ、この土地の特性と歴史を活かしながら、人々が居心地良く共生するまちを作り続けている。この短時間では語り尽くせない程のこだわりが詰まったまちであるということが、高田氏の語る姿からビシビシと感じられた。
次に山下氏から、氏の中にいる影響を受けた建築家の紹介と受賞作品「MaRou(マル)の杜」の構造および建築工程に関してお話いただいた。
山下氏のデザインの考え方の元には、2人の師の存在があるという。大学時代の恩師である建築家・篠原一男氏から幾何学性を学び、イギリスの建築家・ピーター・クック氏からは植物と建築を融合したデザインを学んだそうだ。
そして話は「マルの杜」に移る。
「マルの杜」は山下氏が教授を勤める長岡造形大学の敷地内に建設された、長岡市出身の画家・丸山正三氏の作品を展示および収蔵する施設である。山下氏は、建設地を決定する段階から設計、建設までの一連の過程を説明した。話の冒頭、丸山正三氏を忍ぶ会で、この建物をある美術評論家に批判されたというエピソードから始まった。確かに、「マルの杜」は一般的な美術館とは違った、個性的な設計の建物かもしれない。しかし、そこには山下氏独自の考え方や意図が詰め込まれた空間であることを今回知ることとなった。この建物は、正方形の中に十字形を重ね合わせた空間である。互いの中心をずらし、一方を18度回転させて角度をつけることで、分割された空間が生み出されている。鑑賞者はその空間を移動しながら作品を鑑賞する。その空間を巡るという行為が、まちを巡るようなものとなる。「まちかどを作りたかった」と山下氏は語った。各空間に個性が生まれ、展示計画を考えることが職員の楽しみの1つになっているという。結果的に、この建物に対して様々な肯定的な意見を聞くことができ、安心したと山下氏は語った。
秋山館長は、高田氏の「まちづくりの上で塀をつくらない」という話から、まちという物は人と土地を共有することであり、塀というものは国境のようなものである。しかし、そのようなものは概念としては存在するが、現実の生活には無い。その事を人々が認識し、境をつくらずに共有することで、良いまちづくりができるのであろうと述べた。
今回の美術館大学は、建築家が持つ自分の想いを実現するための情熱やこだわりが垣間見える熱い講演であった。(たかだみつみ・APM学芸員)
秋山孝ポスター美術館長岡(APM)の建物は1925(大正14)年長岡市宮内に長岡商業銀行として新築された。以後、宮内の人々の生活に寄り添いながら、第2次世界大戦での空襲被害、いくたびもの地震、豪雪といった苦難をともに経験し、2009(平成21)年7月「秋山孝ポスター美術館長岡」として開館した。そして2014年4月、APMは第16回企画展「宮内・摂田屋百景
展」において宮内と摂田屋の魅力をポスターというメディアで再発見、発信した。第24回美術館大学では、幼い頃から建築物に興味を持ち、修士論文で「建物イラストレーションの意義」を研究・発表した大町駿介氏、長岡市宮内出身で、多摩美術大学で大町氏の指導に当たった秋山孝氏、40年間長岡の住宅を建築・設計してきた建築の専門家、高田清太郎氏、以上の3名の方に「『宮内・摂田屋百景』について2」と題して講演していただいた。
高田氏は長岡という地域ならではの工法について講演した。長岡は雪国であり、古くから雪との関わりが深い地方である。自ずと建物も雪国に適したものへと進化していった。昭和38年の冬は「38豪雪」とも呼ばれ、雁木が埋まるほどの雪が降ったと言われている。雁木は、多くの降雪により道路が埋め込まれてしまっても人の行き来を確保するための雪国の知恵である。現在のように車の往来の無い時代である。人が通れるだけのスペースを確保する雁木は、冬は雪から、夏は強烈な日差しから人々を守った。また、車が流通してからは消雪パイプが活躍する。消雪パイプとは道路にパイプを埋め込み、地下水をパイプの穴から道路へ散布する長岡発祥の融雪装置である。昔から長岡には雪国で暮らすための知恵が息づいていた。
高田氏が代表取締役社長を務める高田建築事務所では雪国長岡に適する建物を様々に考案してきた。例えば、やじろべえ工法。「やじろべえの持つバランス性を建築構造に活かし、積雪荷重を均等に分散させることにより、2.0~2.5メートルの雪に耐える安定性を確保し」たものである。[注1] また、鉄棒の周りの雪が融けやすいことに着目し、屋根に鉄棒をデザイン的に設置し、積雪が鉄棒を越えないよう工夫した住宅や、ひとつの家をいくつかの塔に分け、それぞれの屋根の真ん中を融雪、外側を落雪にした「多塔屋根の家」など、高田建築事務所はユニークな家作りを行ってきた。雪国に多く見られる高床建築についても、歩行者にとってはコンクリートの壁でしかなく、近隣とのコミュニティー濃度を低めると、「ピラミッド住宅」を発案した。4面すべてを階段とし、大地とつながることで近隣とのコミュニケーションを保つという考え方だ。雪が降れば階段部分は雪の斜面となり、ゲレンデが誕生する。雪と共存し、楽しく付き合えるような工夫が感じられる住宅を紹介した。
大町氏は建物をイラストレーションで描くことの意義と、宮内・摂田屋の建物の魅力について論及した。まず建物イラストレーションの意義を考えるため、大町氏は今和次郎と岡鹿之助の比較を行った。二人とも建物を風景画の一部としてではなく、作品の主題として描いた作家である。「今和次郎は消えつつある日本の民家に、岡鹿之助は日常とは関わりのない特殊な建物に美しさを見いだしており、どちらも社会的に顧みられることの少ない建物に関心を持つことから出発している。」[注2] しかし今が建物の美しさを明快に伝えるために「記録」として描いているのに対し、岡は建物の美しさを作品に取り込むために「表現の追及」として描いていた。大町氏は建物イラストレーションの意義を、「消えつつある建物の美しさを理解し、その美しさを分かりやすく描くことで社会に気づかせること」と説明した。
大町氏が研究の対象として選んだのが宮内・摂田屋地区である。大町氏は調査のため2013年に5回両地域を訪れ、計32日間の実地調査を行った。その期間内は両地域だけでなく、周辺地域(長岡市中心部・郊外・栃尾・山古志、見附市、小千谷市、柏崎市、上越市高田・直江津)も実際に巡り、宮内・摂田屋との比較を行った。そこから分かったことは、栃尾、見附などは旧長岡藩領であり長岡式の建物が、高田や直江津は旧高田藩領であり高田式の建物が並ぶことであった。両者の明確な違いは、高田地域の町家が「平入」であるのに対し、長岡地域は「妻入」となっており妻面の木組みを美しく見せている点である。更に宮内・摂田屋の特徴としては妻入・雁木という枠組みの中に、各家で施された補修が個性として見られる点である。大町氏は一定の枠組みの中の個性を美しいと感じ、その美しさを際立たせるため、「比較しやすいように建物を正面から描く」「漆喰の白さを際立たせるため背景色の明度を下げる」などの工夫を凝らした。
最後に秋山館長は町づくりについて言及した。町づくりは、町の独自性、魅力を住民それぞれが理解し、意見を持ち、主張していくことが重要であるとした。町には、現在だけでなく過去、未来といった「時間」、産業や教育、自然の恵みといった「環境」がそれぞれにある。また周辺地域との関わりあいの中から生まれた「文化」も存在する。町は独立して存在するわけではない。我々はそれを認識し、周辺地域も含めた町のあり方を、住民ひとりひとりが考える必要があると述べた。
(APM職員・森山)
注1 「超安定構造の木造耐雪住宅 やじろべえ住宅」㈱高田建築事務所 http://www.takada-arc.com/philosophy/yajirobe.html 2014年6月4日閲覧
注2 大町駿介「建物イラストレーションの意義」p.24より引用
日本各地で町おこしが盛んである。何をテーマに町おこしをするかは各自治体によって異なるが、宮内・摂田屋の魅力は歴史と文化であろう。新潟県長岡市は、県内で唯一焼夷弾投下による空襲被害を受けた町である。その炎は多くの建物を焼失せしめたが、長岡南部の炎は秋山孝ポスター美術館長岡(APM/旧北越銀行宮内支店)までで止まったという。よって、APM以南には1945年以前に建てられた物が多く残っている。また、宮内の町家にある雁木という、雪国の商店街等で見られる雪よけの屋根も当時からのものである。一方、宮内の南にある摂田屋は醸造の町である。日本酒、味噌、しょうゆといった醸造業者がひとつの町に集まり、醸造文化を発展させた。摂田屋はAPMよりも南に位置するため、こちらも歴史ある建物が多く存在する。中でも機那サフラン酒本舗の鏝絵蔵は国指定登録有形文化財である。「宮内・摂田屋百景 展」は両地域の魅力を展示によって示したものである。
宮内と摂田屋の魅力をポスターで発信したのは、7人のアーティストである。宮内出身で現在は東京在住の秋山孝氏、埼玉出身で現在は長岡在住の御法川哲郎氏、長岡出身で大学時代から東京で暮らしていたが2012年に長岡へ戻ってきたたかだみつみ氏、東京在住で年に数回長岡を訪れる高橋庸平氏、堀池真美氏、柏大輔氏。そして宮内・摂田屋の魅力を見いだし、今展覧会の作品のうち約半数を制作した大町駿介氏。第23回美術館大学では、この7人の中から秋山氏、大町氏、御法川氏、たかだ氏の4人の講師の方々に宮内・摂田屋の特色や作品についての解説をしていただいた。
たかだ氏は、宮内・摂田屋の人々が使用してきた「道具」を題材として選んだ。他の6人が風景や建物を題材として選ぶ中で、なぜ道具に焦点をあてたのか。それは、道具には人々の生活が色濃く表れているからである。人々の生活に密着して使われてきた道具からは、使う人々の姿が浮かび上がってくる。例えば「平沢畳店」の「しめ駒」。畳を縫う糸を締めるときに使用する道具で、作品からは畳職人の力のこもった動作までもが想像される。
御法川氏は2011年に東京から長岡市に移住してきたが、一番衝撃を受けたのは「雪」であったという。長岡の雪は毎日少しずつ降り積もり、2mの壁となる。いくら雪かきをしても際限がなく、冬の生活を不便にするが、ふと窓から眺めたときの雪の美しさは格別である。その雪の美しさと、摂田屋の風景を描いたものが「旧三国街道」である。宮内・摂田屋に古くからあるものとして「旧三国街道」と「宮内雁木通り」を、新しく素晴らしいものとして「秋山孝ポスター美術館長岡・蔵」を描いた。
大町氏は「建物イラストレーションの意義」研究のため、2013年度に5回宮内・摂田屋地区を調査に訪れた。秋山館長から研究のきっかけを尋ねられた大町氏は、幼い頃から古い建物が好きで、郷土史に興味があったからと答えた。古い建物が好きな大町氏の学部生時代の卒業制作は、架空の町を作り市勢要覧をまとめたものであった。それは面白い発想であったが、「現実の方が更に面白いから、それを具体的に研究した方がいいのではないか」という秋山館長のアドバイスに従い、大町氏が着目したのが宮内であり、摂田屋であった。
大町氏は宮内・摂田屋の建物を描くとき、ある時点から建物の正面しか描かなくなった。それは、長岡の町家を描くに当たって正面の図が一番美しく、またそれぞれの建物の個性が分かりやすいと考えたためである。長岡は妻入りの連続した町家であり、屋根と屋根が接する三角の面(妻面)が道路に面する。妻面の上部は漆喰で塗られて木組みを美しく引き立たせる。各建物の妻面は画一的でありながら、それぞれに個性がある。木組みの表情が少しずつ異なるのである。漆喰の白と木組みの黒のコントラストを美しいと感じ、それを引き立たせるために大町氏は正面からの構図を選んだ。
質疑応答の時間には、大町氏の研究プロセスを尋ねる質問が秋山館長からなされた。大町氏は、まず自分の足で町を歩き、自分の目で町を見ると答えた。今回は「宮内・摂田屋百景 展」だったが、宮内や摂田屋だけでなく、長岡の中心地や近隣の町、見附、小千谷、山古志、高田や直江津まで足を伸ばした。そして宮内・摂田屋と比較する。次に地図を購入し、古い地図を入手し、両者を比較する。また歩き、観察する。この行程を繰り返し、そして描くことで建物の現象を顕かにし、時にはデフォルメして表現する。今回大町氏は町家で一番美しいと感じた木組みを、より美しく表すために、紙はグレイッシュなものを選び、漆喰を輝くばかりの白で表現した。
APMは、「1.ポスター作品の展示(アーカイブ)、2.研究、3.教育」を3本の柱に据え、社会貢献を目的に活動している。多摩美術大学大学院のイラストレーション研究グループ院生がAPMを活用し(教育)、その結果、大町氏が「新潟県長岡市宮内・摂田屋地区における研究」を行い(研究)、「宮内・摂田屋百景 展」に至った(展示)。「APMの理想とする展示発表である」とは、秋山館長の言葉である。この展示によって両地域の特色や価値がポスターを通して発信された。それはAPMが行う町おこしであり、地域貢献である。(APM職員・森山)