2-3-1 美術館大学 記録 (2018年)

▶ 2019年   ▶ 2018年   ▶ 2017年   ▶ 2016年   ▶ 2015年   ▶ 2014年   ▶ 2013年   ▶ 2012年   ▶ 2011年
▶ 2010年   ▶ 2009年

2018年度 美術館大学

  • ●第41回美術館大学 「秋山孝の神秘『印刷すること』『手描きすること』について1」
  • ●第42回美術館大学 「秋山孝の神秘『印刷すること』『手描きすること』について2」
  • ●第43回美術館大学 「日本ブックデザイン賞2018について」
  • ●第44回美術館大学 「越後発酵の技法・作法」

  • 第44回美術館大学

    • 日  時:2018年 11月 3日(土)pm3:00-4:30
    • 場  所:秋山孝ポスター美術館長岡
    • 講  師:秋山孝、高橋庸平
    • 進  行:たかだみつみ
    • 題  目:日本ブックデザイン賞2018について
    • 参加者数:28名



    第44回美術館大学は、4回目となる秋山孝ポスター美術館長岡(APM)主催で開催したコンペティション・日本ブックデザイン賞(JBD)について、展示風景、授賞式、審査会の様子や受賞作品の画像を見ながら振り返った。講師はJBD審査委員長の秋山孝APM館長と、毎年JBDに出品し、今回は新設したポスター部門で受賞をされた高橋庸平氏だ。
    JBDは本におけるデザインの価値をあらためて社会に提案することを目的としたコンペティションである。その中で優れた先人や、現在活躍している創作者に対してホール・オブ・フェイム(名誉の殿堂)を設立している。今回、第4号に恩地孝四郎を定めた。恩地は日本の抽象絵画の創始者とされ、木版を主な表現手段として、数多くの本の装幀を手掛けた。自身も執筆を行い、著作『本の美術』では装本の美学について解説し、業界において貴重な資料となった。日本には古来よりパッケージを重要視する文化があり、それにより美しい優れた装幀の本が生み出されてきたと秋山は語る。ホール・オブ・フェイムは日本独自の文化としてのブックデザインを見いだし、その文化を社会に認識してほしいという願いが込められている。
    講演の本編でも、質疑応答でも「デジタル化」が話題に多くのぼったのが印象的であった。
    昨今、様々なものがデジタル化している時代において本もそれに当てはまる。電子書籍という新しい本の形が生まれた。時代の流れにおいて形が変わっていくのは自然なことである。しかし、実体のある本の存在は縮小はするものの絶滅はしない、と秋山は強く断言する。それは、データは形が無く、ちょっとした操作ミスや災害などで一瞬にして消えてしまう儚いものである一方、紙に印刷された実体のある本の存在は強いと信じているからだ。また、ギリシャ古来から続く、歴史を紙に記録し残す、ということの重要性を忘れてはならないと秋山は考えている。紙による本の存在が危ぶまれる中、この重要なコンテンツの価値を再認識し守り発展させる為にJBDを開催している。ある意味、後ろを向いた提案型のコンペティションかもしれないと秋山は語る。一方で、今回から応募方法が作品をデータで提出する形となった。それにより応募者の負担や審査などにおける作業効率が格段と向上した。
    本はいろいろな要素の関係性でできている。経済や社会が目まぐるしく変化する中で、デザイナー、イラストレーター、作家、出版社……が生き残っていく為の方法を考え続けなければならない。新しいものを上手く取り入れつつ、価値のあるものを残すための模索、提案を力の続く限りやり続けたいと秋山は誓った。(たかだみつみ・APM学芸員)


    第43回美術館大学

    • 日  時:2018年 8月 1日(水)pm3:00-4:30
    • 場  所:秋山孝ポスター美術館長岡
    • 講  師:小笠原渉、北原雪菜
    • 題  目:越後発酵の技法・作法
    • 参加者数:77名



    2018年8月1日(水)、秋山孝ポスター美術館長岡(APM)において第43回美術館大学を開催した。「越後発酵の技法・作法」をテーマに、長岡技術科学大学・教授の小笠原渉氏から講演していただいた。
    最初に、小笠原氏の研究室で学んでいる長岡技術科学大学修士課程1年の北原雪菜氏が小笠原研究室の取り組んでいる研究内容を説明した。小笠原研究室では「糸状菌(カビ)」「油脂生産酵母」「細菌にのみ存在する酵素」についての、3つの研究を行っている。微生物の生き方を学び、それを人間の生活に生かしていくものである。また、「発酵を科学する」アイディア・コンテストや、カビに関する学会の企画・運営なども行っているという。
    続いて小笠原氏による講演は、発酵とは何かについての説明から始まった。発酵とは微生物の働きによって物質が変化することをさす。その変化が人間にとって有益なら「発酵」、有害なら「腐敗」であると小笠原氏は説明する。さらに、その分類はあくまでも人間にとってであり、微生物にとってはどちらも同じ「発酵」であるとも付け加えた。近年は微生物による働きを利用した様々なものが生み出され、その中にはコンクリートのヒビを微生物の働きによって自然修復するものもあるという。
    次に、新潟県の発酵文化の特徴について説明した。新潟県特有の発酵食品として妙高市の「かんずり」を挙げ、その他にも日本酒やワインなども盛んであると述べた。かんずりとは唐辛子から作る発酵調味料で、塩漬けした唐辛子を大寒の時期に雪上に撒き、灰汁抜き・塩抜きをする「雪さらし」という作業を行うことが特徴である。実はワイン作りも古くから取り組んでおり、上越市の岩の原葡萄園は1890年創業である。小笠原氏は新潟県における発酵文化の源を土壌であり、何より水と雪であると述べた。新潟県を流れる信濃川の恵みが、かんずりやワイン、日本酒といった文化を育んだと述べた。
    また、新潟の発酵・醸造分野の偉人として坂口謹一郎を挙げている。坂口は新潟県高田(現・上越市)の出身で、「酒の博士」として知られている。サントリーの創業者・鳥井信治郎がワイン醸造を始めようとしたとき、岩の原葡萄園の創業者・川上善兵衛と結び付けた人物としても知られていると小笠原氏は述べた。
    話は、APMがある宮内の隣の集落、摂田屋に及んだ。摂田屋は醸造のまちと呼ばれ、酒、みそ、しょうゆなどの発酵文化が今も息づく町である。その摂田屋にある機那サフラン酒本舗の土地・建物を長岡市が取得し、整備することとなった。機那サフラン酒本舗を盛り上げていくのに、雪が障害となるという声が上がったという。しかし、小笠原氏が言うことにはその雪こそが重要であるという。確かに、前述のかんずりの作成工程に「雪さらし」は外せない。新潟県各地で冬期の雪を貯蔵し、夏でも冷ややかな空間にする雪室で酒やみそを熟成させるなど、雪の利活用も広がっている。我々新潟県民の生活に雪は切り離せないほど深く根ざしている。雪を邪魔者扱いするのではなく味方につけ、摂田屋を発酵のモデル地域としてほしいと小笠原氏は語った。(森山奈帆・APM職員)


    第42回美術館大学

    • 日  時:2018年 7月 7日(土)pm3:00-4:30
    • 場  所:秋山孝ポスター美術館長岡
    • 講  師:秋山孝
    • 進  行:たかだみつみ
    • 題  目:秋山孝の神秘「印刷すること」「手描きすること」について2
    • 参加者数:36名



    当テーマにおける前半にあたる第41回美術館大学では、時代とともに普及した印刷メディアが秋山に与えた衝撃を振り返りながら、印刷メディアの魅力について学んだ。後半の第42回美術館大学では、技術の面から具体的に「印刷すること」「手描きすること」を考察した。
    まずオランダの画家・モンドリアン(1872-1944)の表現に遡る。モンドリアンは樹をモチーフとした連作を制作している。その連作で描かれる樹木は、写実的な表現から徐々に直線で構成した表現に変化していった。それは、樹木のもつ構造を研究し、形態を単純化していく、まさに抽象的表現への過程が見て取れる。
    次にジョルジュ・スーラ(1859-1891/フランス)が提唱した点描主義を考える。スーラは「輪郭線で描かない」ということを発見した。それまでの絵画は輪郭線で描くことが当たり前であったが、確かに実際の世界には輪郭線というものは存在しない。彼は光学と色彩の理論を学び、点で描くことを見つけ出した。今でこそ受け入れられている考え方であるが、当時は相当なセンセーショナルな発表であったに違いない。その当時の衝撃に負けない位の衝撃を秋山は受けた。これまでの「秋山孝の神秘」シリーズにおいて、スーラは幾度も登場していることから、秋山の表現研究においての影響力の高さがわかる。
    また、秋山は水墨画にも独自の考え方をもつ。秋山は水墨画は「染み込むことで描く技法」と説明する。和紙の繊維の目に墨が引っかかり残った点の集まりで描かれていると考える。水墨画とスーラの点描主義が繋がるということに意表をつかれた。そして、この「点で描く」ということが、秋山の「印刷すること」につながっていく。

    印刷物も網点という点の集まりで構成されている。印刷物を拡大すると、小さな点がたくさん印刷されているのがわかる。この点の大きさ、密度、重なりと地となる紙の関係で図像や色彩を形成している。日本には明治時代初期に石版印刷技術が導入され、B1サイズという大判の大量印刷が可能となった。橋口五葉や杉浦非水などによる三越呉服店のポスターがその代表例だ。当時の印刷技術はとても高く、現代でそれを再現するのは容易ではない。当時の日本の職人は紙の扱いに長けており、紙とインクに関する知識が豊富であったため、高度な印刷技術が可能であったのだと秋山は語る。この印刷技術が後にオフセット印刷へと発展していく。
    更にコンピューターの出現によって、印刷による表現の方法が大きく変わることとなる。コンピューターに必要な数列・情報を入力することのみで制作が可能となった。しかしながら、そこにはれっきとした美術家の意識は存在している。この大きな変革にも秋山は衝撃を受けた。
    前述でコンピューターは数列での表現であると触れたが、それにより手描きでは困難を要する楕円やベジェ曲線といった整った図形の描写が容易となった。しかし、それに秋山は美しさを感じない。整ったものを壊すことで美しさが生まれる。コンピューターという技術を利用しながらも、それを壊すことで秋山独自の魅力的な表現を生み出したのだ。(過去の「秋山孝の神秘2『点と線』~形を失う形の思考~」でより深く考察した。)
    秋山は、現在の表現方法に辿りつくまでに様々な画材、技法での表現を研究してきた。時代と共に画材も変化し、表現も変化してきた。これまでみてきたように、秋山にとって印刷という表現方法も、画材による表現の移り変わりの延長線上にあるのだ。「印刷すること」「手描きすること」は一見対極に位置するように思われるが、秋山の表現活動の上では密な相互関係にあることがわかった。(たかだみつみ・APM学芸員)


    第41回美術館大学

    • 日  時:2018年 5月 12日(土)pm3:00-4:30
    • 場  所:秋山孝ポスター美術館長岡
    • 講  師:秋山孝
    • 進  行:たかだみつみ
    • 題  目:秋山孝の神秘「印刷すること」「手描きすること」について1
    • 参加者数:42名



    館長・秋山孝のポスター作品表現の秘密を解き明かすことを研究目的としているシリーズ「秋山孝の神秘展」も4回目となった。今回のテーマは「『印刷すること』『手描きすること』」だ。現在の秋山の作品は、ポスターや書籍など「印刷」を経て完成形となるものが中心だが、かつては画家を志し油絵などで描いた絵画作品を創作していた。その画風は、現在の作品とは大きく異なり、同一人物が創作した作品なのかと驚く。では、なぜ秋山は自身の創作活動を「印刷」という手法にシフトしていったのだろうか。美術館大学では、その謎について秋山自身が解説した。例の如くこの研究は秋山が影響を受けて来た過去の表現を振り返ることから始まる。
    【印刷すること―ポスターの魅力/1960年代音楽と大判印刷メディア】
    1960年代、秋山孝学生時代―。
    アメリカやイギリスを中心として若者たちによる新たな文化のムーブメントが起こっていた。彼らは反戦や人種差別などの社会への不満や、新たな生き方・自己表現の手段として、ファッションや音楽を生み出し、その流れは大きく瞬く間に世界を飲み込んでいった。日本も然りである。日本は高度経済成長の最盛期。エネルギーに溢れ、日本の生活も変化し、海外からのカルチャーがどんどんと入ってくる中、それは秋山青年にも大きな影響を与えた。
    ビートルズを筆頭に、ローリング・ストーンズ、ボブ・ディランなどの音楽が世界的に大ブームを起こした。音楽は言葉の違う異国の人間でも共感できる強いメッセージ性を持つ。その音楽のメッセージをさらに強めたのが、グラフィックであった。彼らのポートレートやポスター、レコードジャケットは、それまでにはなかった最新の印刷技術を巧みに使用された表現技法であり、新鮮でかっこよく、美術を学ぶ秋山青年の心をガッシリと掴んだ。それは、彼に「もはや美術大学の教授から学ぶものはない」と思わせるほどであった。それまで秋山は、油絵など絵筆で描く表現を研究していたが、これらの新たな技法を知ったことで彼の考え方は大きく変わった。「印刷とは何か。」「色を塗るということはどういうことか。」という疑問をここで持ったことが分岐点となったと秋山は自身を振り返る。
    秋山に影響を与えた表現者の代表格にいたのがミルトン・グレイザー(1926-)だ。ロゴ「I ♡ NY」を作成した人物だ。このデザインは、紙のみならずあらゆる媒体に印刷され、一目で伝わるコミュニケーションの速さを持ち、今なお世界的に有名である。また、アンダーグラウンド・コミック運動の創始者ロバート・クラム(1943-)の描くイラストレーションにも大きな衝撃を受けた。彼が手掛けたコミック誌「ミスターナチュラル」は秋山の大事なコレクションの1つである。

    【原画表現から印刷メディアの自立/時代への影響力】
    1960年代後半になると、社会への不満が募った若者たちによる学生運動が勃発した。その発端がパリ五月革命(1968年5月)だ。大学制度の改革を求めたパリ大学の学生と大学側が対立し、学生と警官隊の激しい衝突に端を発し、フランス全土に広がった社会変革を求める大衆運動である。日本でも東大紛争(1968-1969)や日大紛争(1968-1969)などの学園紛争が起こっていった。秋山の通う多摩美術大学でもそれは起こった。当時は授業どころではなかったそうだ。そんな争いの場でもグラフィックは活躍した。学生たちはスローガンをかいたポスターを印刷し大量にばら撒き、団結力を高めた。劣悪な環境で印刷されたそれらのポスターは、決して美しいものではなかったが、強いメッセージ性を持ち、チープさの中に力強さと魅力があった。他にも、中国で起こった文化大革命(1966-1977)で毛沢東を讃えるプロパガンダに利用されるなど、ポスターというメディアは時代の動きと共にある。今はインターネットを使って簡単に素早く情報のやりとりができるが、1960年代の激動の時代において重要な役割を担っていた印刷物の持つ魅力、能力を秋山はその渦中で見てきた。そして、その力を今でも信じている。
    憧れのアーティストについて話をする秋山の姿は、目がキラキラと輝き青年に戻っていた。当時はレコードを買うとポスターが付いてきた。秋山青年はそのポスター欲しさにレコード屋に通ったという。その時の熱い想いが秋山のポスターへの情熱に火を付け、それが現在も燃え続けているのだろう。(たかだみつみ・APM学芸員)

    ▶ 2019年   ▶ 2018年   ▶ 2017年   ▶ 2016年   ▶ 2015年   ▶ 2014年   ▶ 2013年   ▶ 2012年   ▶ 2011年
    ▶ 2010年   ▶ 2009年

ページトップへ